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結構マジで・・
2015年07月19日 (日) | 編集 |
安保関連法案について 政治家やメディアの反応に疑問を感じています。

内閣支持率が下がってついに不支持が上回ったとテレビなどで言われているんですね。
おいらから見れば当然の結果ですが それに関してはそこに至る過程の問題を強く感じているわけでエス。

沖縄の基地問題などもそうなんですがメディアなどは反対派などの声は拾っているんですが 逆に賛成派の声を届けるのもメディアの務めなんじゃないかとおいらは考えるんです。

例えば共産党の人間などがよく少数意見を取り上げろと声を上げているわけですが 議会制民主主義では選挙によって議員が選ばれていて国民の代表として議会で議論が行われるわけですよね。
したがって国会での議論は民主主義の縮図なんだと思うわけですよ。
まぁおいらは正直いって今の政党政治が正しいとは決して思っていないわけですが おいらの気持ちがどうであれ 今の議会政治はそういうもんなんですわ。
そこにある感情は置いといても所謂強行採決も法律で決められたルールなわけですから それを否定していいものではないはずです。

ちなみに野党は基本的に所数意見を拾えと言っているわけですが沖縄の選挙結果などではあくまで数で上回る声にしか焦点はアテナイの野党やメディアのルールのようになっているわけです。

仮に少数意見に焦点を当ててみれば沖縄にいる基地賛成派の声ってのも本来はメディアは取り上げなければいけないもののはずですよね。
ところが実際は基地反対派の声ばかり取り上げるから沖縄に住む賛成派は声を潜めるしかなくなっていて沖縄県人同士でも大ぴらに語るのがタブーのようにもなっているようですよね。
賛成派はメディアに顔を移されることを嫌っている様子が某番組などでも見受けられているわけです。

ちなみに安保関連法案について個人的には国会で議論している様子などを見ても議論する意味をおいらは見つけられずにいるわけです。

何故かと言えば基本的に法案の整理tを考える与党と反対する野党の考え方の違いの溝が埋まるとは思えないからですね。

何故溝が埋まらないかといえば与党が言う抑止力という発想に対し野党が言う戦争ができる制度作りという点で根本的な考え方の違いがあって発想の始まりが違いすぎるためにおいらには埋まらないものにしか見えないわけです。

反対する人に共通して言われることですが 戦争が起こる前提って何ですか?と聞いてみたいんですわ。

おいらは戦後から今に至る日本の考え方に立って考えたときにあくまで日本が考えていることが日本に対して戦争をする気にさせないことを考えるのが今の与党の貨案替え方だと思っているわけです。
警察が拳銃などの武力を持っていることで警察に対して暴力に訴えることがないようにするというのが考え方だと思うわけですね。

ところが反対する人はどうやら日本が戦争をしたがっているという搬送になってしまう事が大いに問題なんだと思うんですよ。
警察が武器を持つことに疑問がないなら日本が集団的自衛権を承認したってなんら問題はないはずなんですわ。

日本が、また同盟国のアメリカが自らの意思で戦争をするという発想ができてしまう事が多いらにとって理解しがたいことなんですよね。
実際は日本にしたってアメリカにしたって戦争に対し極身近に感じることはあるかもしれませんが それは過去においてアメリカが世界の警察を自認してきたこともあることに起因するもののように思えるのです。
そのうえである意味アメリカの利益に立ったものの考え方がそれに反発する人たちとの利害関係で危機的なものになることが懸念されるのだと思うんですね。

おいらはそこで考えるべきことは そのアメリカの利益ってのは日本にとっての不利益なのか?という事を考えるべきだと思うわけです。
少なくてもアメリカはアメリカの国益に正直で ある意味そこには日本の国益よりも優先するものはあるだろうとは思いますが 今現実的に日本が抱える脅威などを考えたときに 少なくてもそういうアメリカであってもまだ日本と同じまたは一番近い思想の上に立っているという認識があると思うんですよ。
日本の脅威を考えれば何一姿勢を貫いている韓国や価値観が日本とは違う中国やロシアよりもアメリカは同盟国として価値観が近いという事が大事なわけです。

で、おいらとしては日本およびアメリカから戦争を仕掛けることは基本的にあり得ないという考え方なんですね。
ところが安保関連法案に反対している人たちは不思議なことに価値観が一番近いアメリカによって日本が戦争に舞いこまれる、もしくはアメリカの利益(と言っても基本的に国連の考え方と言ってもいいほどのことだが)のために日本が戦争に巻き込まれ戦うようになるとどうやら考えているようなんですわ。
実際にアメリカは紛争地域にどこにでも行って戦っているわけですから不安になるのも仕方がないかもしれません。

しかし、そこでもう一つ考えることが必要でアメリカが戦っているところのほぼすべてでアメリカ以外の国も同時に戦争行為をしているという事実についてです。
おいらはそこで行われる戦争行為について世界秩序と言っていいのかわかりませんが 共通認識でのルールを守るための控井だと理解しているんですわ。
日本はこれまでそういう場所では後方支援やお金だけ出すというやり方をして自分の手は汚さないでいたわけです。
それも、ある意味 スイスのようにどちらの側にも立たずに自分たちは独立しているというものではなく アメリカに守られているにもかかわらず そういうところに行くアメリカを批判的に見ていたのが日本なわけですよ。
スイスはどちらにも立たない反面徴兵制も取って自分たちの身は自分たちで守るという姿勢でやってきたのに対し日本は全く違っているわけです。

世界で起こることに対し日本も善悪の判断をし行動をするべきだとおいらは考えています。
それは武力をもってその対処をしようというのではなく日本にできることをやるという前提の上で 場合によっては武力も含めて指導力を発揮するべきだと思うだけなんですわ。

ちなみに初期の議論でも今言われている集団的自衛権の範囲として日本と全く関係がないところにおいては同盟国のアメリカが攻撃されても適用範囲外であるという前提があっての話であることは言うまでもない。

おいらとしては与党が言う自衛権としての集団的自衛権を尊重しているわけでしかない。
どこから戦争ができる法案という認識になっているのか全く理解に苦しむ。
自衛権ってのはある意味喧嘩を売られた場合の想定でしかないはずなんだが・・・・。

集団的自衛権の範囲を考えたときも日本が関わっている中でアメリカが喧嘩を売られたときに日本がアメリカと共に戦うということだろう。
アメリカが喧嘩を売った場合は自衛権ではないというのがおいらの認識であり 仮にアメリカが喧嘩を売った時には その善悪をもって適用を判断するんじゃないだろうかね。

もう一つ大事なことは 事の善悪と関係なくアメリカに守ってもらいながら陰に隠れていることを良しとする気持ち自体がおいらにはまともな考え方ではないように思えて仕方がないのである。

安保関連法案ですぐに戦争に結びつける人に聞きたいのは戦争にかかわる事態が起こるときにどういう前提でそういう行為に至ると考えているのかを問いただしてみたい。
おいらには上で書いているようにこちらから仕掛けるという発想が全くないのであり 戦争を想定する人は日本が、もしくはアメリカが正義のない判断で戦争を仕掛けるという事を考えるのであろうか?
もしくは売られた喧嘩に対しアメリカにすべてを任せて自分は陰に隠れているという考え方なのであろうか?
アメリカが関わったことで巻き込まれることが怖いのだろうか?
一部ではアメリカが正しいとは言えないかもしれないが そこに至る部分で過去よりも日本がアメリカに対し堂々と意見を言えるようになるための法案が成立すればアメリカの考える正義を日本がより世界的な正義にしていくことも可能になるものだとおいらは考えるんだがなぁ。

まぁとにかく平和主義者のほうが右寄りの人よりも戦争が起こることを無駄に想定している気がしてならないわ。
しかし戦争ってのは原因になりうるものはどちらにも存在しているかもしれないが行動はどちらかが起こすのであっておいら的には少なくても日本が起こすことはないと思っている。
またアメリカが起こしたとしても正義はアメリカにある(もしくはアメリカは国連側にたっているだろう)と考えている。
ついでに日本の脅威になりうる国よりも 少なくてもアメリカのほうが価値観が日本に近いとおいらは考えている。
価値観ってのは本当に重要でぎろんってのは少なくても同じ価値観がないと行えないものだと思っている。

世界遺産を巡る話でも韓国と日本は調整をしたが最後の最後で裏切られた感があるわけだが 日本と韓国の話としてはこういう事はいつだって起こるのだ。
日韓基本条約が締結されているが韓国は何度も無視するかのような話をしてきている。
村山談話や河野談話の前提もこういってくれれば今後この話題を蒸し返さないというのがまず裏切られているし 誤っても彼らの都合で何度も蒸し返されるのである。
なぜそんなことが起こるかと言えば彼らには日本人とは違う価値観があるからだろう。
それがすべてである。

安保関連法案の議論も似たようなもので議論してもことここに至る価値観が違っているために結局議論しても無駄だと思う。
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