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MayJに足りないもの?
2014年10月05日 (日) | 編集 |
ネットで話題を探していたところこういう記事を見た。

色々とコメントが出ていたわけだが つい先日 おいらは福岡の放送で彼女が前ノリ?で福岡の激辛料理の接待?を受けているものを見たてカラオケ番組にない魅力のようなものを感じていたのでちょっと書いてみた。

おいらもどちらかと言えば彼女の歌については疑問を呈している側の人間だという意識があるわけでテレビで見た激辛料理の食べ比べ的なもので見せた一面が新鮮に映ったのが自分でも不思議だったと思う。

ある意味カラオケ女王という売り出し方に問題があったというしかないと思うんだな。
歌自体は確かにうまいんだろうけど結局 カラオケ女王といったって感情とかも含めて機械の評価での女王であって過去に日本でもあった関係者がしていた評価のカラオケ番組とも違って性格に歌えているかどうかが焦点の採点でしかないことに大きな問題があると思うんだよね。
過去にあったカラオケ番組などでは少なくても歌手を育てたり接してきた人が総合的に評価をしていたわけで今流行しているのは機械による採点だという大きな違いを視聴者が違和感として感じているってことなんじゃないかと思う。
視聴者が感じているのが点が出る人=感動する歌が歌えているわけではない という点だと思うんだな。

よく自分の過去の持ち歌で本人が登場しているが結構多くの場合で挑戦者に負けているよね。
年を取って声が出なくなっていたりで崩して歌うケースが多かったりするのが最大の理由だと思うが、結局は人の心を震わせることを機械は理解できないという点にあると思うんだな。
これが正しいというわけでもないが声質という点などへの理解という面でも機会に人間と同じ感覚で判断することなどできないだろうという点があると思う。
森進一の曲をほかの人が歌ってもあの味は出ないと思うんだが では機械採点ではどういう判断がされるかと想像すればおそらくは森進一の独特の声はマイナス評価にしかならないと思うんだよね。
森進一は極端な例だが、同様に森高千里やZard、ELTの持田などの声質の人の曲ってあの声だから余計に響く気がするんだがはたして機会がそういう感覚を理解できるのか?ということなんだよね。

そういう総合的なものでの感動よりも正確に歌えていることやのびやかな部分が評価できるものに対しビブラートやこぶしを入れることで評価が上がるってのは どこか違うんじゃない感があると思う。

昔のカラオケ番組で感じたことがあるんだけど歌が上手い人が歌手になるのではなく人を引き付ける歌を歌える人が歌手になるという考え方にある意味逆行しているのが今の機械採点だと思うんだよね。

でだ、MayJに感じる反発のようなものってのが そういう気持ちが具現化されたものであるような気がするんだな。
ただ、MayJは感動するような歌が歌えていないのか?っていうとそこは若干微妙で 感動できる歌なのかもしれないという思いがないわけでもない。
残念なことに他人の曲だという点でどうしても印象で勝てないのだ。
同じように他人の曲を歌う歌手がいるがハッキリ言って違いは存在していると思う。

それはほかの歌手の場合はすでにほかの歌手の場合は個性が理解されている点だと思うんだ。
つるのや徳永などがそれだと思うがMayJはカラオケの採点ででてきたことで彼女に対するイメージがこれとCMで作られたことが問題なんだと思うんだ。

そんな中、先日見た歌う以外の内容の番組はある意味新鮮にうつりイメージは少し良くなったように感じたんだな。
カラオケやCMで見る勝気なイメージとは違う面が見れたとおいらは今分析しているw。

アナ雪などに乗っかってるイメージもマイナスに働いていると思うし 正直アナ雪や歌手というのとは違う部分で露出することが必要なんじゃないかと思うね。

まぁ正直 テレビに出ているからって滅多に気にしてみたい人ではないってのが正直な気持ちではあるんだがw。
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