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くだらない朝まで生~
2013年02月23日 (土) | 編集 |
体罰問題を取り上げている。

しかし、これでは意味がないだろう。
だって基本的な問題を深く取り上げないで意見を交換しているだけでいつものように時間をかけ結論にたどり着く努力をしないわけだから。。。
ちなみに、これはNHKでやっているマイケル~の討論とは意味合いが全く違う番組である。
あちらは学生などが問題を考えることに加助を出すことで多角的なものの見方をすることを知ることが勉強になる番組であり、朝まで生テレビは専門家などが不毛の議論をする番組だという違いである。

きょうの体罰問題にしたって公で体罰賛成と言える雰囲気はなくこれでは不毛としか言いようもない。
体罰とは何かという話を提起したのが馳議員だがスルーされているし、フィンランドのケースなどを聞いたところでフィンランドには留年制度があり放課後は地域が受け入れる体制があるわけだ。
教師は授業までが管轄で部活などには縁がない。

だれだったかPCを前にしている人がそれぞれの環境を考えないでただただ議論することに意味がないというような発言をしたが、おいらにはこれが真実でそのことも取り上げられていない。

そのうえで視界の田原氏は教育勅語など自分の体験を語りだしている。
時間稼ぎと自分が持っていきたい方向に誘導しているだけにしか見えない。

乙武氏などは体罰はダメの一転でものを言っているが確かに正論だろう。
しかし、そればかりでもないはずだ。生活態度の指導などでは他人にちょっかいを出す生徒などには彼が言う時間をかけたがらない楽な手段や感情的なってでも手を出すことは否定されているが、現場ではそれだけでは済まない場合だってあるだろう。
フィンランドの人が言っていたが自分の子供を叱るケースなどでは時間をかければ済むかもしれないが学校は決して同じではないだろう。それはダメな子供を指導する時間が多くなればそれ以外の子供に対する時間が削られることにもつながるわけだ。
きれいごとだけでは済まないはずだ。
フィンランドは上でも書いたが、落第がある。だけ奈子供はほっておいても落第させればほかの子供には迷惑は少ないだろう。日本でおなじことは現状では難しいはずだ。

昔に書いたと思うがそもそも日本は独特のシステムで他国などと比較することが難しい。
学校教育の中にスポーツが入ってきていることが一因だろう。
アメリカなどでは大学まで大きな大会がないなど、スポーツに対する考え方がそもそも日本と違っている。
EUなどは基本的にスポーツはクラブでやるものだろう。

教師の範囲が日本ほど広い国はおそらくないと思うのだ。


教師は教鞭をとるというように日本ではそもそも教育には鞭が必要だと考えていたのだろうと思う。
おいらは体罰は必要だと思っている。それは学校の教育現場では時間をかけて理解させることに時間をかけることができないと考えるからだ。
しかし、むやみに体罰を加えるというのは暴力につながる危険があることを忘れてはいけないだろう。
体罰の肯定は暴力教師を生む危険性があることも気を付ける必要があるだろう。
えてして体罰をすぐに使う人ほど普段からそれに慣れ理由もなく暴力を使いがちになるのは経験上理解しているのだ。
もう一つ、体育会系の人間の話も聞けと思うんだよな。
こういった現場で声を上げる人の多くがスポーツと無縁だったり理想化している人間だと思えるからだ。
彼らには桜宮で体罰をしていた教師を擁護する声を理解できまい。
すでに高校の部活などは進路に影響を与えうる存在になっていることが理解できていないのだ。
いや、理解はしているのだろうが理想論から抜けだせない人間でしかないのだろう。

そういう結果が欲しい生徒には結果を残してきた指導者に巡り合えるチャンスは貴重なのだ。
学区制度などもあるわけだし私立高校に皆がいけるわけでもない。

本気で学校から体罰をなくしたいなら学校での部活を辞めることと学校に入るのに最低限これだけはできるように家庭での役割を明確に与えればいいのだ。
就学するには最低限教師の話をしっかり聞けるようになってなければいけないとなればどの家でもそれなりには教育をしてくるだろう。
そうなれば教師の指導はだいぶ楽になるはずだ。
出来なければ停学でも退学でもありという状況なら家庭の責任ぐらいはあるていどやることだろうよ。

部活を無くせば教師も手が離れるというものだ。

まぁこういった議論の中にプロやセミプロで現役でやっている人間がいないわけで体罰に対する理解の声はまず聞こえないだろう。
彼らは理想論を語るだけでしかないからだな。

部活などで体罰をするケースを話せばわかるというのはその通りだが、その人だけにかかりきりになれるという条件が必要なわけだが彼らはそのことを理解していないのだ。
およそ部活の中で個人だけにかかりきりになれる時間など多くはないことを彼らは判っていないのだ。
手っ取り早い、説得ずる術を知らないなど教師の側に原因を探したがるがそれは理想論ゆえにそうなることを彼らは気づいていないのだろう。
少なくても複数の人数でそれを担当しなければできないことでもありその環境がない中では難しい行為でしかないのだ。

学校教育の場から部活をはずしクラブにその内容を任せることと最低限の団体生活ができる人間以外は学校が受け入れなければ体罰などはそれほど必要としないことを理解していれば学校の問題として体罰を取り上げる機会は確実に減らせると思う。
できれば議論はそこから始めてほしいものだ。
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