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おいらが今思うことだな。
2013年01月24日 (木) | 編集 |
先ほども体罰の関連で指導者への評価というものについて少し書いた。

本来指導者への評価ってのはなんぞ?とおいらは考える。

良い指導者とそうでない人の違いについてだ。
桜宮の指導者は体罰から逸脱した部分があったのは確かなのだろう。
しかし、そうはいっても考えてほしいのだ、おそわったOBや生徒がいまだに先制を慕っている人がおおぜいいるということを。
世間では脳筋とか洗脳という言葉を使う人はいると思うが指導者の評価ってのははたして誰がするのだろうかということからだ。

おいらはサッカーが好きなんでサッカーを取り上げる。
佐々木監督がいる。世間ではもてはやされているがはたして本当の優秀な監督なのだろうか?
おいらには疑問を感じられる。
なでしこでは結果を残している。そのことは賞賛に値するとおいらも思う。
だが、本当に優秀なのかはわからん。
理由は簡単だ。代表クラスの選手ってのは元々能力もありモチベーションが高いのだ。
佐々木監督が育てた?違うだろ。佐々木監督がうまいのは戦う環境づくりがうまいのだ。
佐々木監督が一から育てたもしくは一時期で著しく伸びた選手をだしたか?と聞かれたらそういう選手をおいらは知らない。
代表レベルの監督をすれば佐々木監督は優秀なのだろうとは思うがね。
中学生や一般レベルの高校生の指導で優秀かどうかはわからないということだけはわかる。

もうひとり取り上げてみよう。
男子の代表監督の岡田氏だ。
ハッキリ言っておいらの評価は高くない。
南アフリカ大会で結果は出したという声はあるが、あんなものはたまたま選手に救われたにすぎないフロックだ。
直前の試合ではボロボロだったのだ。年が明け戦う試合すべてでボロが見え負け続けた。
本大会でシステムを変えらことで結果はでたが、そもそものプランが形にすらならなかったのが本当だろう。
結果が出たと言っても実は褒められる結果ではないと思っている。
サッカーで弱いチームが強いチームに勝つ方法ってのが相手に点を与えずカウンターで点を取るというやり方だろう。幸いに日本には結構いいフリーキッカーがいたのが幸いしただけのことだ。
日本の得意とするものに勤勉というものがある。創造性では劣り勤勉に勤め上げることに長けているのだ。
もう一つ日本には問題があり それが背の高さだったのだが、このときの日本は闘莉王など高さにも不安が少なったことが要因だろう。本田選手など大会以外では点が取れない代表だったのだ。ところが本大会では本田が確変した。最初に挙げた得点は彼はトラップをミスしたのだがそれで絶好のポジションにボールが来て得点している。フリーキックも見事だったがおいらはその後あの位置からのフリーキックで彼が決めたのを見たことがない。
それでも彼はワールドカップでの成功を自信につなげ結果は出してきている。
しかし、それは岡田監督のおかげではないと思う。

岡田氏び話で印象に残っている話がある。自身が語った言葉だ。
Jリーグの監督時代選手が自分のほうを見ているというのだ。どうやら自分のープレーをいちいち監督である岡田氏にアピール、確認しているというのだ。俺は選手のことを見るのが仕事だ、俺にアピールする暇があるなら仕事をしろと言いたい、その選手は使わなかったと言っていたのだ。
ある意味では正しいのかもしれない、同等の力を持つ選手がいれば違う選手を使うのも監督のやり方だろう。
しかし、見方を変えてみればアピールしてる間にできることがあるだろう選手ってのは同等と評価された選手より伸びしろがあった選手ではないんだろうか?
そう考えればその選手を指導しなかった岡田氏ってのは決して優秀とは思えないのだ。
これはこの話を聞いた瞬間においらがおぼえた違和感だ。
その時はこうやって文章にできるほどの違和感ではなかったが、考えてみれば違和感の原因は明白だろう。
考え方を変えれば伸びしろはあるがこうやって考える下地があるとすればこの選手はこれまでだと考えたのが岡田監督なのだろう。
ちなみにこれは代表ではない。
代表ならば代わりの選手を招聘すればいいだけのことだ。
ところがJのチームでは現有勢力で戦わねばならないのだ。選手の成長を力にしなければならないのだ。
岡田氏が指揮を執ったチームは札幌は上位に行くこともなかったしマリノスは勝てたこともあるが長期的に安定はしなかったように思う。
個人的な意見ではあるが岡田氏は選手を見たんだろう、おいらが思うに選手を指導しない中で好き嫌いを判断していった結果がこういう結果になったんだと思う。
西野監督のいたガンバなどが正反対ではないかと思う。
選手があまり変わらずに安定して短くない間ずっと上位の位置を確保したのだ。
一方で当時のマリノスは選手がどんどん変わっていったと思う。
J2などからストライカーをとったり逆に昨年それなりに活躍した選手を放出するなど当たり前にやっていたように記憶している。
ワールドカップ後には岡田氏の評価は上がったが個人的には評価していない。
岡田監督の評価はワールドカップだけで決まった評価でしかないからだ。
おいらはそれも評価していないのだから上がる理由はないのだ。
むしろ、大会前に負け続けたほうが岡田氏の本質とみている。
岡田氏には気の毒な面があることだけは細くしておく。
日本のチームは年明けはかなり弱いのだ。それに加えワールドカップイヤーということもありいつもより強い相手と戦い負け続けたということだ。
岡田氏は攻撃的にボールを回し点を取るためのチーム作りをしていたのだが決めきれず、またディフェンスも予選では機能していたが年明けではミスが目立ったのだ。連係ミスで失点する場面が続いたのだ。
これは岡田氏の責任とまでは言えないとも思うが、大会でその形を完全に変えて結果を出したことがおいらには不満だ。
形を変える決断をしたことを評価する向きもあるがこの決断は選手からの声もあったと聞いているし最終判断が岡田氏であることも理解はしているが、結果として岡田氏の考え作ってきた戦略は失敗したことでしかない。
結果が良かったというだけでしかないのだ。

おいらは岡田氏は評価をしない。それはそれでおいら個人の考えでしかない。
現実には評価している人も大勢いるのだ。ワールドカップが終わって帰ってきた岡田JAPANにごめんなさいした人が大勢いたのだ。

岡田氏もワールドカップに向け遠征体制づくりには大いに健闘したとも聞く。そういう面での評価はおいらもしている。さらに勝つにつれチームの状態も良くなっている、その背景でも岡田氏は雰囲気づくりで成功していたのだろう。そこはおいらも認めている。

多くの指導者を見てきた選手の声が一番知りたいところだ。

自分の周りの話をしよう。
おいらが辞めた部活の話だ。
上の学年は指導者が嫌いで団体で部活を辞めている。
そもそも部活にはほとんど顔も出さない人だが、体格がよく強面で売っていた影響だ。
上級生が大勢辞めた影響などもありおいらもやめた。
その後の話だが二つ下の学年主任であった教師はおいらの次の年に高校に入ったうまい生徒と学年主任を務めた世代でいい選手を集め実力校に変え東京都の役員かなにかにまでなっている。

同じ人間がしてきた話である。
人間性が変わったかといえば微妙だ。強くなる過程で体罰というより暴力は普通にあったのだ。
被害者が弟なのでその辺のことはよく知っている。理由もなく叩かれたと言っている。
それこそ挨拶代りだったのだ。弟は理由もなく叩かれたことはぶつぶつ言っているがそれほど悪い感情は持っていないようだ。親から聞いた話では弟が大学を卒業する際にはその人からこの企業にに就職しないかと声をかけられたというのだ。スポーツを続けることが条件だったらしいが弟は断ったらしい、いまではその企業はJリーグにいる。

おいらはこの顧問を評価するすべを持っていない。
おいらたちのころは最低最悪の指導者でしかない。しかし2年後には見違える結果が出ている。さらに数年後には都大会を勝ち上がり全国に行ったのだ。その結果が役員なのだ。
その後は知らない。
いまならそのまま最悪の指導者になるのだろうか。。。。

同じ指導者でも評価が違うのは当たり前なのだ。おいらの例など極端すぎるが現実がこういうものだろう。
人により違うのだ。全国に言った人から見れば指導者の影響は小さくないだろう。
その中でもレギュラーとそのほかでは考え方も違うだろう。

画一的に判断できるものでもないと思う。

しかし、一方では全国に行ける内容で指導できる力は認めるべきではないかとも思う。
野球やサッカーはプロもあり夢見る子供たちの意識も高いだろう。
学校教育の中ではプロを目指す生徒もレギュラーにもなれないのに部活をする人だって混在するのだ。
レギュラーだってプロになる人もいれば高校で辞める人もいるのだ。
高校や大学で指導する指導者は難しい中で指導をしていることをもう少し見ていく必要があると思う。
そして評価は関係者がするのが一番正しいのだと思う。

どこの学校だったか覚えていないが甲子園で21世紀枠のチームに負けたことでの発言で叩かれた指導者がいただろう。
テレビにも出演しているよね。
監督の言った言葉は間違っていないとおいらは思う。
トーナメントを勝ち上がって得た出場権に対し21世紀枠のチームは負けたのに出れたチームなのだ。
予選で彼らに負けたチームに申し訳ないではないか。勝ったチームは負けたチームの名誉のためにも戦っているのではないだろうかと思う。

このことだって人により賛否はあるだろう。
当然だろう。

学校の教育に臨むものだって人により違うのも当たり前だろう。
政治的にはこうあるべきってのはあるんだろうが、そんなのは利用する側には些細なことでしかない。

ほかの国の問題だからと言わないで考えて欲しいものもある。
韓国のことだが、韓国はゴルフで昨今実績を上げている。
日本の坂田プロは坂田塾と称し日本でも人気をとっているが、厳しい練習や躾で有名だ。
その坂田プロが韓国の現状を見に行ったことを紹介しる番組を見たことがある。
小学生ぐらいの子供からスクールに入り合宿生活を送っているのだ。
レッスン料はかなり高い。親が金持ちでなければ入れないだろう。
そして彼らはいつでも練習ができる環境の下で学校に行かずに練習をしているのだ。
勉強は合宿で教えられるだけやっているようだ。
坂田プロは教育そのものには疑問を感じたようだが、韓国のゴルフ界に脅威を覚えたと伝えていた。

学校教育に頼らない方法が取れるのがこの場合の強みなんだろう。
日本にはそういう仕組みはない。
たとえ英才教育をしてもらえるジュニアやユースのシステムがあっても学校教育は取り入れているのだ。
唯一違うのが公共レースにいくプロを育てる場だろう。
競馬学校などがそれだが、そこでの指導は学校教育の比ではないだろう。
彼らは退学を常に意識しているだろう。
体重管理ができなければ退学になるのだ。だからこそ親族にまで入学の際には問題になるのだ。
サッカー選手になるために海を渡った子供もいる。
期待されなくなれば放り出されるのだ。さすがにヨーロッパではサッカーのためといったって教育は行われる。
放り出されてもすくなくても語学力は残るのも救いだ。

日本は学校教育の中の部活がスポーツの生命線になっている部分が大きい。
このことを変えてやればそもそも部活で体罰などをする必要もなくなるだろう。
アメリカなどと比べるのは意味のあることでもないが、アメリカでは州の大会ぐらいまではあるが日本でいう全国大会などというものは多くないらしい。
そもそもが競う目的ではないのだろう。
日本ではなんでもかんでも全国大会がある。当然競うためだろう。
当然人よりうまくなりたくもなるし結果が欲しくなる。
そこには厳しい指導も出てくるというものだ。
だからアメリカではスポーツなどが本格的になるのが大学からなのだろう。

日本を見てみればプロ選手に高校を卒業した人間が入っている。
高校はすでにプロになるためのステップにもなっているのだ。
プロへのステップにもなっている高校での部活と学校教育の一環である部活が混在しているのだ。
この状態で全てを語るのは無理があると思う。

橋下氏は桜宮の形だけを変えればいいと思っているかもしれないが、本当に変えたいのなら高校の部活のあり方を根本的に変えなければどうしようもないだろう。
プロになりたい人は部活ではなく学校とは関係のないクラブで教えるシステムを確立させることが必要条件になるだろう。
ことはそういうことだと思う。
高校での部活はすでにプロ予備軍を育てる場面にもなっているということだ。

市長が生徒を説得するには部活とは別にそういう生徒のためのクラブ組織でも作るしかないだろう。
それと学校教育を併用しないで学校教育はこうでなければいけないでは説得力がないのも仕方がないだろう。

尾木ママなどの批判はおそらくそういうプロ予備軍になりたい生徒の気持ちは理解できていないせいだと思える。

小さい頃の夢では多くの子供がプロスポーツ選手にあこがれている。
中学でその望みをつないでいる生徒には高校の部活はもはやただの学校教育ではないのだろう。

大人が高校の部活にプロの卵を探しているのに学校教育だからというのも本当に変な話だ。
おいらは前にも書いたが桜宮のために各スポーツ協会から指導者を送れよと言っている。(書いては消しを繰り返したので書いていないかもしれないが)
在校生の心の負担を減らすため、平常の生活を維持するために今の指導者ではダメというのなら指導者を組織が送り込めばいいと考えたのだ。
自殺した生徒が苦しんだのは体罰なのだろう。在校生から部活を取り上げるためではないのだろう。
ならば、協会が保証する人間で指導してやればいいじゃないかと考えたのだ。
サッカー協会には電話をしたが大阪市が考えることであしらわれた。

文科省にもメールはしていたが反応はない。

当然だわね、大阪がスポンサーの学校である。でしゃばるわけにはいかないのだろう。

でも、大人が高校の部活をプロ予備軍に仕立て上げてしまったのである。
生徒も理解しているだろう。
もはや部活はただの部活ではない。
サッカーでこそ部活以外からでもプロにはなれるだろうが、それでも地域に組織がないところは学校の部活がプロ(セミプロも含む)に直結している場なのだろう。
大学への進学にしても部活での成績が評価の対象になったりすることもこの傾向に拍車をかけていることだろう。

生徒に対し自殺した生徒の気持ち云々のたまっている人間は元々こういった考えには無縁の存在なのだろう。
現状の学校での部活でこういうプロ予備軍を感じたことのない人間には理解できないのだろう。
それ以外にも理解できない人たちはいるだろう、エリートコースを歩む選手たちがそれだろう。
それが匂ったのが佐々木監督の出来の悪い指導者発言だ。
佐々木監督の翻意はわからないが紙面からはそういう匂いがした。
現状では佐々木監督は意識の高い生徒しか相手にしていないだろう。
そういう選手は話せばわかるのだ。レギュラーという目標がいつでもあり競争相手は腐るほどいるのだから。

一方で部活の現場は優秀な生徒が多ければ多いほど体罰は必要ない世界になるだろう。
競争があるからだ、
しかし現有の人間だけで強くしなければならない現場はどうかという話だ。
中にはプロ予備軍もいるかもしれないし、中には高校で部活を辞める人間もいるかもしれない世界だ。
指導者は結果を望まれているのだ。学校教育だけで臨まれているものの上にスポーツでの結果まで望まれているのだ。指導者の性格にもよるのだろうが結果の前にそんなものは大きな問題ではないだろう。
桑田がいう辞めていったスポーツにとって大変な損失だなどというのはおそらくはお門違いだ。
プロになりたい人間なら指導者と話し合うぐらいのことはするんじゃないんだろうか?
部活を辞めたってスポーツをする方法を考えるのではないだろうか。
ついでに言えばプロになったからといって芽が出ない人間がどれほど多いかは桑田も知っているだろう。
プロになるためだけが目的ではないという言葉もあるだろう。
ならば言い返そう、部活だけが人間教育の場ではないだろう。

桑田にはもう一つ言いたい。
体罰を批判する前に学校教育の部活のあり方から議論するべきではないかということだ。
体罰をなくす目的なら学校教育の部活では結果を求めないを徹底すれば体罰は簡単に減らせると思うがどうだろう。
しかし現実は違うだろう。
入学希望者を増やすためにスポーツに力を入れる学校がいくらでもあるだろう。
越境入学させても強くした学校は野球で有名になったんではないんでしょうか。

桑田には体罰がなく清原がボコボコにされたという金村の話が象徴的だと思う。
意識の高さが体罰をなくすのならスポーツは学校教育を離れるべき存在なのではないだろうか?
少なくても学校教育で教えるのは体育で止め強くなるためのスポーツは学校教育から切り離すべきだと思うがどうだろう。

たとえ今市長が桜宮を変えたとして学校教育で結果が求められれば同じようなことは無くならないとおいらは思う。
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