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代表戦を見ながら。。。
2011年09月02日 (金) | 編集 |
北朝鮮とのサッカーのワールドカップ予選を見ている。

君が代や国旗について考えながら。。。

ネットで国旗・国歌法と打って調べると 法律で定められていることが改めてわかる。
国旗は日章旗、国家は君が代と定められている。

ところが教師が君が代の伴奏を拒否して懲戒処分を受けたケースなどで係争という話もでている。
思想の自由が認められているというのだ。

おいらには不思議でならない。
基本的に法を守った上での思想の自由ではないのだろうか?

なんの制限を設けない思想の自由であればナチス崇拝だって認められる話になってしまう。

そもそも自由なんていうものは制限だらけのうえに成り立っているのだ。

思想の自由が制限なく認められれば納税の義務だって拒否できるし、ほとんどの法律は無視できてしまうことになる。
しかも、不思議なことにこうした係争はだいの大人の間で行われているのである。
それもほとんどが教育者だろう。

思想の自由は憲法で、国旗国家は法律だから憲法の方が優先されるという話もあるだろう。
しかし、憲法でうたったからといって自由が認められるとは思えない。

簡単な話だ。ナチスの思想を自由だからと認められないのと同じだろう。
思想の自由とは制限を受けるという前提の上でのものだ。
その制限の一部が法律に書かれているだけの話である。

それを教師が理解できないというのが情けない話だ。

自由っていうのは他にもあることを忘れないでいただきたい。
日本国民にしばる法律はないのである。
公務員でいなければいけない法律はないのである。

フジ批判に対し多くの人が嫌なら見なければいいという。
そう、嫌なら日本国民をやめればいい、公務員でなくなればいいだけのことだろう。

それは嫌、これは認めろってのは大人げない話でしかない。
そもそも国旗・国家は法律で決まっている。

公務員てのは基本的に国民が生活をする上でサポートするのが仕事だろう。
法律は国家のためにあるものであるわけで、公務員であれば法律に従うのは当然の義務であろう。

一般の会社では業務命令にそむけば処分を受けるのが普通だ。
公務員は思想の自由を理由に処分の撤回を求めているが、一般社会では考えられないことだろう。
人権を無視したものについては確かに拒否することはできるだろうが、法律に法ったものを人権の内容に挙げられても認められるものではないだろう。

思想の自由ってのは名目上は存在するが制限のない思想の自由など元々存在しないということをいい加減知るべきだろう。大人であり、しかも教師なのだから理解する力を養って欲しいものだ。
幸いおいらはそういう教師にあたらなかったので実際にはどういう人間がそういう行動をとるのか理解できないが、そうした行動をとる人たちはどこかしら考える力が欠如しているか、理解力に問題があるとしか思えないね。

憲法は大原則である。しかし、憲法は全てを網羅できない存在でもある。
そのために補う法律がある。
法律は国旗を日の丸、国歌を君が代と定めている。

これだけで十分理解できるものだろう。

我侭でしかない。誰もが同様に声を上げれば秩序などというものは存在できなくなる。
自分たちに都合のいい思想の自由しか存在しないなどということはどこにもなく、思想の自由が存在すると認めれば他人の思想の自由も認めなければならなくなり秩序というものが壊れていくのである。
教師がそういう発想を唱えれば学生の思想の自由も認められるという理屈が成り立ってしまう。
果たしてそれで秩序は保たれると思っているのだろうか?


代表選も後半になってしまった。。。。
後半だけでも集中してみよう。
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