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元総務大臣がこれだもの。。。。
2011年08月22日 (月) | 編集 |
こんな記事がでていた。

twkakken まりあぱぱ
@kharaguchi フジテレビのデモに関するコメントがほしいな

@kharaguchi 原口 一博 
@twkakken ありがとうございます。フジテレビで韓流が増えたことを「取り締まらない」のは、そのような仕組みを強化した前大臣の せいだというツィートをみて驚きました。何をどう流すかは、編集権者の権利です。そもそも「取り締まる」などという発想が放送の 自由に反するものです。(続く)

@kharaguchi 原口 一博 
(続き)編集権に他者がそれを「取り締まる」ことは許されません。その一方で「日本の領土・主権」を脅かしていると思われるような 内容の歌詞を意味がわからない外国語のためか、日本の若者が喜んで歌っているという危惧についても先日、領土議連の友人 と話をしました。

@greatFullDad ShigeHanda
放送局には自前の「放送コード」がありますが、総務省はこの内容にコメントする立場にはありませんか。

@kharaguchi 編集権に 他者がそれを「取り締まる」ことは許されません。

@kharaguchi 原口 一博 

@greatFullDad ありがとうございます。電波は公共のものです。既得権益者の独占物ではありません。公共の利益に反することに 対して、これをただす権能まで否定されるべきではないと考えています。


一部それなりの話はしているが、全くおかしな話である。
何をどう流すかは編集者の権利である。ということからしておかしな話である。

編集権に云々というのは、言論の自由や表現の自由というモノへの配慮された話だと思うが、それなら総務省の監督省庁としての役割はなんなのだろう?
単に放送局から献金を受けるための組織だとでもいうのだろうか?

ハッキリ言って誰が考えても今のところテレビの役割は大きい。影響力だって大きいのである。
若い世代や年寄り世代でネットに多くを依存している人は多くはないだろう。
その人たちはテレビで世間を見ているのである。
放送コードという言葉がでているが、自民党時代に漢字が読めない話題がテレビで放送される半面、いまなど総理の外国人献金問題が一般のニュースではほとんど報じられない。
漢字が読めなくても法に触れないが、献金問題は法に触れる行為であるのにである。

政治と放送局の癒着にもみれる。
お金の動きはないかもしれないが(おそらくはあると思うが)、両者にとって反日は一致した目的なのだろう。


国益という視点があるのなら、フジの韓日戦という呼び方など多くの場面で国益を損なう行為だろうと思う。

震災で日本人という意識が強くなっている今日 そういう思いに水を差す行為にほかならない。
他国で日本人への賞賛の声があがる中、国民が日本人だからという気持ちをそいでいると思われる。
被災者や支援者にも外国人はいるといわれるかもしれないが、その多くは日本人というものに触れることで日本にいることを選択したり支援使用としてくれているのではないのだろうか?
そのことは忘れてはいけないとおもう。

メディアを総務省が取り締まれないという原口氏のような意見は国民の声を弾圧する。
氏は反発するかもしれないが、メディアに任せる=放送しない権利も認めているのである。
民主の不祥事を放送しないのもそれにあたる。
意に沿わない意見を取り上げないことも認めているわけだ。
現にフジへのデモは報じられない。
フジへの批判は放送されないのである。

これは国民の声をとりあげていないことではないのだろうか?
万にも及ぼうかという人たちがデモに直接参加をし、それをネットで20万人とも言われる人たちが見ているのに現に放送されないではないか?

原口氏の言葉はテレビやメディアによる報道しない権利を認めていることで他社に口を出させないことを認めているのである。
そして、それについて国は口を出せないとまでいっているのである。

世論をマスコミが作ることに対し政治がそれを認める行為だろう。

どこに公平性があるというのだ?
どこに公共性があるというのだ?

原口氏がいう言論の自由や表現に自由というものはやっかいに存在している。
それがゆえにと原口氏は反論するかもしれないが、公共の電波という言葉がよく使われていることについて氏には考えてもらいたいものだ。

言論の自由や表現の自由とともに公共性というものが放送にはついてまわっているとおいらは考える。
いまの放送体系に公共性が備わっているかどうか、意に反する言論を弾圧してないか 検証してみればいいのだ。
公共性や公平性などメディアには存在しないというのならそれは構わないが。。。。。

果たしておいらには原口氏が電波による放送をしているテレビメディアに任せるという考えの中に公平性や公共性にたいする考えがあるようには思えない。

原口氏の言葉のままに考えれば総務省は放送免許を与えるために審査をする場所でしかなく監督する仕事は有していないことになる。それが総務省の仕事なのでしょうか?
法に触れる問題を裁くのは裁判所の仕事であり、法に触れない倫理的な問題を監督する仕事が総務省にあるのではないかとおいらは思う。

原口氏のような人が総務省のトップに立っていたことが残念でならない。



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