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外国人参政権の判例について
2010年03月07日 (日) | 編集 |
過去の裁判で違法と判断されたのだが、傍論で裁判官が法律などを整えれば~というような発言があり、現在はそれが元になって民主党などが法案をだす見込みですね。

傍論についてはのちに裁判官が政治的に配慮して話してしまったという談話もあります。

主文:違法 なんですけどね。
傍論部分を満たせばOKと捉えられる内容があったとしているのが根拠ですよね。

しかし、後日談もわかっていて枝野大臣もその点について裁判官を批判しているわけです。
つまり、傍論はあってはならないものであったと理解しているのではないのでしょうか?
(違う、後日談が出たことを批判しているというひともいるかもしれませんがね。)
当の本人はどっちかわかっていることでしょう。

枝野大臣は弁護士らしいので判例については今後の裁判で下される結論に大きく影響を与えるということを考えて傍論
だろうと裁判で語られた事実だけを捉えるのでしょうね。

しかし、司法の場なら出た言葉の重みがそこまで重く、野党時代の民主党が秘書の責任は政治家も連帯責任ですと公に言い続けたことについてはあまりに軽くスルーしてしまうのはどうかと思います。
い目現在総理である人が国民を騙した発言であるにもかかわらず 言葉の重みははるかに小さく捉えてしまうのが弁護士などの法律家なんでしょうね。

菅谷さんの冤罪事件が釈放、やり直し裁判となった時点でも検察は誤ったが裁判官は決して謝らないということもこういうのちの判例への影響を考えてのものかもしれません。

ただ、一般人の考えですと謝ってしまって今後の裁判で同じようなことが起こらないようにして欲しいと考えると思うんですが、法律家はあくまでそのときの判断材料が有罪を示していたから有罪判決であって弁護側の力不足であり裁判官に責任はないという立場なんだろう。
それは何より謝った判決を下したことになると同様の事件に対し判例基準がおかしくなってしまうことを懸念してのことなのかもしれない。

そういう意味では後日談で語った政治的に配慮して付け加えた言葉だという話がでたことが大きな問題だと枝野大臣は言ったんだろうと思う。

しかし、例えばですが痴漢の冤罪問題などでは一昔前ならどんなに頑張っても無罪を勝ち取ることは本当に難しいものだったものが実際に金銭目的などで痴漢を語った事件などが起こり判断基準が見直されてきている例はあると思う。
いまの日本の判例主義が絶対だとは思えないわけで 法律家もそれを薄々感じながらだと思うのだが、変えようとする動きはおこらないのだろうか?
事実としてでている後日談があるにも係わらず、傍論の意義だけを主張するのはどうかと思う。
枝野大臣などは弁護士の本能でそう考えるのはある程度わかるのだが、一方で政治家であるわけでこういった後日談のあるものの有効性について法律家とは別の視点でみることも重要なのではないかと思う。

おいらは基本的に日本国籍を取ればいいことなんだから国籍取得をとってくださいという立場ですね。

ちなみにだが、そもそも傍論の有効性についてもっとしっかり議論してください。
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