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アギーレジャパンに香川が呼ばれる!?
2014年08月26日 (火) | 編集 |
という話題で香川がいらないとかいうこえがでていたり相変わらず本田は凄いが香川はしょぼいだという声がでていたりするんだな、これがw。

あくまで個人的にだが、そもそもそういう声ってのは本当のところを理解していない人が多いことが理由で起こるのだと思う。

代表に選ばれるとか選ばれないっていうことをそもそもうまい選手が選ばれると勘違いしている人が多いことも理由だと思う。
代表候補にr選手など基本的に皆うまいわけだよ。
そこで選ばれる選手と選ばれない選手の差なんてのはあくまで監督の趣味程度の差でしかないってことに気が付くべきだと思う。

例えばワールドカップに最後の最後に呼ばれた大久保と斎藤を見てもわかると思うが大久保は非常に使われ斎藤は出番さえなかったわけだ。
他にもずっと代表に呼ばれてきた選手でさえ本番で全く使われない選手もいるわけだが そういう選手と代表に世bれなかった細貝や憲剛とどう違うのか?と考えれば そんなものは監督の趣味とか気分しだいでしかないとしか言いようがないだろう。
まぁ実際にはいろいろなシミュレーションの結果必要になるかもしれない選手を呼び代わりになりそうな選手がいるならば呼ばないといったような検討の上選んだのだろうが結果的にはほぼ固定メンバー以外の出場さえなかったといえるわけだよね。

ほかにも香川や本田の活躍などについても本田がいないと勝てないなんて言う人もいるが 個人的には何度も書いているが本田がトップ下のチームを作ってきたわけだからそれ以外の経験はそれをそのまま実力と見るのはハッキリ言って間違いだと思う。

おいらはよく例に挙げるが例年優勝争いをしていたガンバがいきなりJ2落ちしたわけだが 選手の活躍なんてのは監督の違いなどでいきなり変わってしまうものでしかないのだ。
ガンバは悪くなった麗であるが逆にオシムなどが千葉を劇的に変えたことも反対の例として挙げることができるだろう。
監督が代わり戦術が変わることで弱かったチームがいきなり強くなることは普通にある。
柏レイソルがJ2から上がってそのままそのままの力でJ1で活躍したなんてのも良くなった例だろう。

これらの多くは選手はそれほど変わっていないにもかかわらずである。
すなわち選手の実力云々ってのは正しい評価ではないのである。

ガンバなどは例年上位にいっていたわけで選手の力量はわかっているはずが勝てなくなったわけで 選手がうまい=勝てる というのは正しくないといういい例だろう。
勝てないチーム=選手が下手くそ というのも監督が代わって勝ちまくるチームがあることでも そういう評価がまちがいであることがよくわかるはずである。

J1にいるチームの選手はみなそれなりの力は持っていて上手く力をまとめきれない監督のせいで上位にいけないだけでしかない。
まぁ仮に監督の采配が同じなら選手の力量の差が順位になってくるだろうが実際は選手の力量<監督の力量なんだと思うね。
監督次第で弱いと思われたチームが連勝し強いと思われたチームg勝てなくなってしまうわけだからね。

同じことが代表でも言えるとおいらは思っている。
代表とクラブの違いは練習できる環境の差が大きいわけだが、結局のところ監督が誰を選んでどういうチームを作ろうとするかという点が一番大事なんだと思う。

ザックジャパンでは一部の選手にすべてを頼りすぎたことが最大の欠点だったというのは明らかだろう。
結果的に試合感のない選手が主力になったり怪我明けの選手が大勢選ばれた結果ってのも今回の結果に反映されたんではないかと思うよね。
ほかにもずっと呼ばなかった大久保が重要なポジションに入ったわけだが なぜ過去に呼ばなかったのか?という疑問はずっと残るわけだよね。

まぁおいらは結局ザックは基本的にワールドカップに連れていくことが彼の仕事でありそれ以上はオプションでしかなかったことが大きな原因だと思うんだ。
ワールドカップ期間を考えたときに長丁場の大会でグループを突破することをはじめから考えていれば主力の故障などを考えいろいろなオプションをはじめから想定した試合をしていたはずだと思うんだな。
本田が出れない、香川が出れないといった想定をザッケローニはしてこなかったことが本番を前に本田や香川がクラブで試合に満足に出れない、けが人が大勢出てしまったといったときにオプションがない形になって表れてしまったのだと思うんだな。

そういう言う身ではアギーレという監督が言われるとおりにコンディション重視だったり主力級でもどんどん代えるというのであればいま呼びたい選手はどんどん呼んでどんどん使いどんどん代えて見せればいいのだと思う。


おいらは日本の特徴ってのはとにかく前からの早いプレスをかけられるという事だと思っていてそれが長い時間続けられることが最大の武器だと思っているんだ。
そういう流れで行けばザックジャパンってのはそういう特徴が出れば強い試合もできるがあまりにそういう試合をするチャンスが少ないチームだったと思っていて正直おいらには残念な代表チームだったわけだ。
某選手が口にした失点は覚悟している、それ以上に点を取る などというのはおいらの考えに全くそぐわないものでしかなかったわけだ。
日本はまず失点をしないことを前提に点を取ることを考えるチーム作りをするべきだと思うからだね。
結果的に日本は失点をし日本が取る得点は最少得点で終わって全く勝てなかったわけだよね。

アギーレという監督は聞くところによれば前からのプレスでショートカウンターを得意にするというしコンディションのいい選手を使いたがるってのもおいら的には魅力的に聞こえている。

おいらはいい選手が代表に入って活躍できない点を何とかしてほしいと思っているんだ。
代表チームの戦術に合わせることで個性が死ぬケースってのが多いんじゃないかと危惧していたんだ。
おいらは代表の戦術ってのよりも選手の勢いであったり個性が生きる戦術のほうが重要なように考える部分があるんだよね。
最初のほうで言ったとおりに監督の手腕でチームの勢いであったり戦術に大きな違いが出るのは確かだが選手はせっかく選ばれても個性をけし長所が発揮できなければ選ばれた意味がないだろう?

MLBの話だったかコーチは技術的なアドバイスはほとんどしないと聞いた気がする。
もっぱら精神的なケアが主な仕事のようらしい。
岡田監督が南アフリカで最終的にやったのも雰囲気をよくすることだったという事だったと思うんだね。

選ばれた選手が皆自分のストロングポイントを発揮できる雰囲気があるチーム作りをしてくれることを望みたいね。
一部の選手が自分が自分が~というのではなくね。

逆に新しい選手を生かすプレーを心掛けてくれた方がいい結果に結びつく気がする。

個人的にはオシムの時のように誰?っていう選手が沢山代表に呼ばれるようになればいいと思っている。
(さすがに誰?って選手はよばれませんからねw)

常々書いているが代表に呼ばれる選手と呼ばれないけどクラブで主力でやっている選手の力量の差なんてのはそれほど大きなものではないというのがおいらの持論だからね。
誰を呼んでも監督がうまく使ってやれば結果を出せるのだと思っているんだ。
なんせクラブよりは周りの選手のポテンシャルは高いはずだしねw。

まぁアギーレに関してはまだ何も見えていないわけだ。
楽しみに待っているしかないのだ。
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いつまでも叩かれてるMayJなわけだが
2014年08月19日 (火) | 編集 |
おいらも叩いている人間の一人かもしれないんだがw。

オリジナルも歌ってるんだろうけどやっぱり有名なのがカバーなんだろうね。

おいらの好きなGILLEも最初はYoutubeに日本語でカバーを歌ってたらしいんだけど その頃の評価は悪かったらしい。
美味いけど・・・みたいな。。。。

そこでGILLEの場合は得意の英語で歌う事にしたらしいんだがこれが当たってそれまで多くの人が見てくれることがなかったのが短い期間にすごい数の再生数を得て自分でもビックリしたってのをトーク番組で語っていたという。

また、おいらの好きなつるの剛士もカバーでやってる人なわけだけど 彼の場合は本家とは違うスタイルってのがあると思うし歌う曲も女性の曲をつるのの迫力ある声で感情的に歌っているのが魅力になってると思うんだよね。

MayJは関ジャニ∞の番組のカラオケで知られるようになったわけだけど、おいらはつるのか台湾?の男の子が出てる時ぐらいしか見ないんだよね。

機械の採点で勝敗が決まってるんだけど 観客は正直だと思うんだな。
たとえ負けても歌に涙する人がいるのが印象的である意味MayJが不敗の女王だとしても果たして観客が涙するかと思えばそうではない気がする。

そもそも歌手の曲が売れるかどうかってのは上手いとかだけじゃないでしょ。

声の特徴など結局響くかどうかってのが重要でしょ。

一発屋が出てくるのは声などが曲とマッチしているからでほかの曲を歌ったとたんに売れなくなるのが象徴的なわけだよね。
上手けりゃいいならもっと売れる歌手はいていいはずだし ある意味オリジナルの曲だって売れてるはずでしょ。

おいらは正直MayJが悪いっていうことではないと思ってはいるんだけど、アナ雪の曲も松の方が効きたいっていう気持ちがMayJ叩きになっちゃうんだと思う。
松がTVで歌わないからMayJが出てるっていう部分があると思うしカラオケ採点番組も結局おいらの場合は好きな歌手が出てなければ見ないもんねw。

とはいえ彼女の場合はオリジナルのヒット曲がでないことにはやっぱり誰かの代わりっていうイメージがついちゃうことになりそうだね。

GILLEの場合は彼女だけのオリジナルっていうイメージがあるし(アレンジもあるからね)つるの剛士は彼の雰囲気が自分の曲にしちゃってるわけで誰かの代わりではなくつるの剛士のあの曲が聞きたいと思わせるものがあるわけだね。

MayJは彼女のあの曲が聞きたいと思わせるものができないと結局誰かの代わりっていうイメージで終わっちゃうと思う。
いまはそういうことを長々いわずに叩くっていう雰囲気になってるんだと思うね。

レリゴーだってエンディングの歌手であって歌もうまいんだけど松の歌のほうがイメージが強い分やっぱり代わりって思えちゃうのが悲しいところだろうね。